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Channel: 不思議空間「遠野」 -「遠野物語」をwebせよ!-
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「遠野物語拾遺86(ベロベロの鉤)」

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ベロベロの鉤の遊びは他の土地にもあることと思うが、遠野地方では多くは放屁の主をきめる時に行っている。子供が一人だけ車座の中に坐って、萱や萩の茎を折曲げて鉤にしたものを持ち、それを両手で揉みながら次の文句を唱え、その詞の終りに鉤の先の向いていた者に、屁の責任を負わせる戯れである。

なむさいなむさい(あるいはくさい)

べろべろの鉤は

とうたい鉤で

だれやった、かれやった

ひった者にちょちょ向け

しかしこの鉤遊びの誓文を立てぬ前に、もう挙動で本人はほぼ知れている故、術者が機を制して、おのずから向くべき方に向くのは勿論である。

                                                   「遠野物語拾遺86」
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「遠野物語拾遺85」で、ベロベロの鉤を回して神意を占う様なことが記されているが、ここでは放屁主を決める遊び道具にベロベロの鉤が使用されている。一人の子供が車座の中心に占主の様に座ったが、似た様な放屁の遊び唄がある。

横座でががぁ 屁たれだ

どごまで聞けだ

かまの前まで聞けだ

竃の前のガギどぁ アハハと笑った

横座は、囲炉裏の奥の正面で、一家の主人が座る席。その席で妻が放屁して、子供達に笑われた唄になっている。囲炉裏には自在鉤が吊るされており、その自在鉤は、火の神である三宝荒神のの依代である事から、横座という言葉は自在鉤の横で、火の神の祭祀者の意にもなるか。横座での放屁が、竈まで聞こえたというのは火の神で繋がっている意であろう。

車座の中心も、恐らく祭祀者の意を持っての遊びになるのだと思う。遠野では、どの農家にも囲炉裏があって、炉の火を囲む暮らしが普通であった。寝るとき以外は、食事や団らん、昼寝から客の接待に針仕事などの、細かな仕事をする場も囲炉裏を囲んで行われた。生活の中心が囲炉裏の火であり、その中心にかけてあったのが自在鉤であった事から、自在鉤が火の神の依代に見做されたのも当然であったろう。文中の「とうたい鉤」とは「尊い鉤」である。この尊い鉤を使って子供が遊ぶのは、遠野だけでなく全国で伝わる仏像で遊ぶ子供達の姿と重なってしまう。そういう意味から、この自在鉤での子供達の遊びは、子供達と神仏との交流の一つではなかろうか。

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