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Channel: 不思議空間「遠野」 -「遠野物語」をwebせよ!-
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「遠野物語拾遺202(飯綱調伏)」

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この飯綱使いはどこでも近年になって入って来た者の様にいっている。土淵村でも某という者が、やはり旅人から飯綱の種狐を貰い受けた。そして表面は法華の行者になって、術を行うと不思議なほど当たった。その評判が海岸地方まで通って、ある年大漁の祈禱に頼まれて行った。浜の浪打際に舞台をからくり、その上に登って三日三夜の祈禱をしたところが、魚がさっぱり寄って来ない。気の荒い浜の衆は何だこの遠野の山師行者といって、彼を引担いで海へ投げ込んだが、ようやくこのことに波に打上げられて、岸へ登って夜に紛れてそっと帰って来た。それから某は腹が立ち、またもう飯綱がいやになって、その種狐をことごとく懐中に入れ、白の饅頭笠を被って、家の後の小烏瀬川の深みに行き、だんだんと体を水の中に沈めた。小狐共は苦しがって、皆懐から出て、笠の上に登ってしまう。その時静かに笠の紐を解くと、狐は笠と共に自然に川下へ流れてしまった。飯綱を離すにはこうするより外に、術は無いものと伝えられている。

                                                    「遠野物語拾遺202」
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「飯綱を離すにはこうするより外に、術は無いものと伝えられている。」

原書房「憑物呪法全書」によれば、長野県の例では管狐に憑かれた場合、専門の行者に祈祷を頼み、おびき出して捕獲して貰うのだと。そして行者は箱もしくは竹筒に管狐を入れ川の中に入って、そのまま箱ごと流すのだという。憑き物祓いをした行者も憑かれる可能性があるので、管狐を流したら水に潜って禊をするのだという。岩手県東磐井郡では、管狐の好物に憑き物を集めて封じてから捨てる方法を取っていたようだ。また川に捨てるだけでなく、辻に捨てる場合も有効であったという。他にも専門的な管狐の除去方法があるが、それは直接「憑物呪法全書」を読んでもらった方が良いだろう。

管狐と飯綱は同じもので、長野県の飯綱山から出たとされる想像上の小さな狐とされている。飯綱使いは大抵、飯綱大権現を本尊としているようだ。その飯綱大権現とは、荼枳尼天である。その為か、夜中に七か所の墓石の欠片を取ってきて、それを利用した管狐の除去方法もあるようだ。

また管狐は、九尾の狐で有名な玉藻前の靈であるという説もある。九尾の狐は殺生石に封じ込まれたものの、実は永平寺の道元和尚が、かさご和尚に封印の秘法を授けたのだが玄翁和尚がそれを盗み聞きし間違ったやり方で調伏しようとした為に殺生石が割れ、その割れ目から無数の管狐の靈が日本全国に広がって人々に憑依するようになったという。だがこの話も作り話のようであるが、実在した玄翁和尚の開基した慈眼寺には玄翁和尚自作の荼枳尼天像がある事から、玄翁和尚は荼枳尼天法の使い手であったようだ。曹洞宗の和尚であった玄翁和尚だが、18歳の時に曹洞宗に入る前は5歳からずっと真言宗を学んでいたという。

遠野で信仰されているものの中に、愛宕信仰、古峰山信仰が多くあるのだが、これは全て天狗と関係して信仰されている。愛宕は軻遇突智という火の神を祀っているのだが、実際は愛宕山の太郎坊、古峯山は「天狗の社」と呼ばれ東北では圧倒的に信仰され、そして飯綱山は飯綱三郎天狗となり、天狗の験力が火を駆使する事から火伏の意識が庶民には親しみを感じたのだと思う。上の画像の飯綱権現堂もまた火伏せを意識して建てられたものだ。しかしここでは火伏せの飯綱では無く、憑依する飯綱だ。「注釈遠野物語拾遺(下)」には、遠野の佐々木イセさんの言葉が添えられている。

「飯綱憑きは、周囲の人のプライバシーを感知し、見ていると思われているので、多くは不気味な人と思われている。」

富を為すという飯綱使いは、占いもやるのだが、そもそも占いとはいかに個人のデータを集めるかでもある。沢山の個人データを集めて分析すれば、当たると信じられる占の誕生である為、飯綱使いもまたそういうものに長けていた人物が飯綱使いになったのではなかろうか。それが急に個人情報から、大漁の祈禱まで任せられたのでは、占いや祈禱も当らないのは当然である。小松和彦「憑霊信仰論」では、管狐に食物をじゅうぶんに与えていれば富をもたらすが、疎かに扱うと逆に厄災になると書かれている事から、この「遠野物語拾遺202」に登場する飯綱使いは飯綱を疎かに扱った結果とも考えられる。また小松和彦は、この富をもたらす飯綱も、家に富をもたらす座敷ワラシも同列に考えているようだ。確かに「憑き」とは博打などでの「ツキ」であり「ラッキー」な意味に使用される。それが個人に憑くのが飯綱であり、家に憑くのが座敷ワラシというだけである。当然出て行けば、"ツキ"に見放された状態となり没落する。遠野地方だけでなく、金持ちの家が嫌われたのは、何かに憑かれているのだろうという不気味なイメージを伴っていたようである。秩父のある村では、「蔵のある大きな家には狐憑きの家だ。」と云われたそうであるが、これを遠野に代えれば、「蔵のある大きな家は座敷ワラシ憑きの家だ。」となる。つまり憑かれているのは「ツキがある。」状態であり、いつかは没落するというイメージを持つのだろう。「憑霊信仰論」に紹介されているが、広く管狐の家系とは婚姻を結びたくないと嫌われるのは、いずれ没落する家とは縁を結びたくないという自己保身もあるのだろうが、佐々木イセさんの言葉の様に、どこか不気味に感じる為に、避けられているのだろう。それは憑かれている状態が、本来のものでは無いと察しているからだろう。その人なりと付き合うには、本来の姿で付き合いたいという感覚。憑かれている状態は、本来では無いという事だ。この飯綱使いも、占がよく当たったのも、たまたま憑いていたからであり、その憑きが無くなった話しを飯綱のせいにしたという事なのかもしれない。

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