Quantcast
Channel: 不思議空間「遠野」 -「遠野物語」をwebせよ!-
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1368

蝦夷国の千曳岩

$
0
0

伝説によると、昔この地方に羅刹という鬼が住んでいて、付近の住民をなやま
し旅人をおどしていました。そこで人々は、三ッ石の神にお祈りをして鬼を捕
らえてもらい、境内にある巨大な三ッ石に縛り付けました。鬼は二度と悪さを
しないし、又二度とこの地方にはやって来ないことを誓ったので、約束のしる
しとして三ッ石に手形を押させて逃がしてやりました。

この岩に手形を押したことが「岩手」の県名の起源といわれ、又、鬼が再び来
ないことを誓ったので、この地方を「不来方(こずかた)」と呼ぶようになったと
伝えられています。鬼の退散を喜んだ住民達は幾日も踊り、神様に感謝のま
ごころを捧げました。この踊りが「さんさ踊り」の起源ともいわれています。

                                 「三石神社案内板」

盛岡市の三石神社に誓いの印に鬼が押した手形の岩がある。手形岩には他に弁慶のものが多いが、これは人間離れした力の持主であるという意味を込めているのが理解できる。ところでこの三つの岩は、以前は一つの岩で、後で割れて三つになったと云う。まあ、それが本当かどうかはわからないが、元々磐座信仰は古代から続いていたので、こういう巨石を信仰するのはわからないでもない。ただ本当に、磐座信仰としての巨石が、この鬼が手形を押したという三石だったのか?という事。

気になるのは、現在の栃木県と福島県の境界に境明神として、栃木県側に伊弉諾が祀られ、福島県側に伊邪那美が祀られている。また別に、宮城県側に伊弉諾が祀られ、岩手県側に伊邪那美が祀られている。これを何故に境明神というのかは「古事記」において、伊弉諾が死んだ伊邪那美を連れ戻しに黄泉の国へ行き、そして追われた時に、黄泉の国と現世を分け隔てる為に、千曳岩を置いた。そう千曳岩とは境界石でもある。

蝦夷国は、朝廷側にとって鬼の国でもあった。その蝦夷国が朝廷に侵攻され、関東からだんだんと北上し、宮城県の多賀城は、ある意味、鬼退治の最前線基地のようなものであった。中国における鬼とは死んだ者である。映画にもなった「キョンシー」は、ゾンビの様に死んだ人間であり、鬼とも呼ばれた。死者の国である黄泉の国とは、そのまま鬼の国と捉えてもいいだろう。つまりだ、伊邪那美が祀られる側を鬼の国としての境明神だったのではなかろうか。その鬼が追い詰められ、領土を奪われ、現在の宮城県の多賀城が築かれた頃は、それ以北が鬼の国であった。そして、その鬼の国に更なる侵攻が加えられたのが、坂上田村麻呂が征夷大将軍となってからだった。それから更なる鬼の国への侵攻が始まり、ついに征服されてしまった。

三石神社の案内板によれば「鬼は二度と悪さをしないし、又二度とこの地方にはやって来ないことを誓ったので、約束のしるしとして三ッ石に手形を押させて逃がしてやりました。」とある。つまり、この三石から手前には来ないという約束の手形が三石であり、それからこの三石が境界石となったと解釈してもいいのだろう。恐らく、この三石も朝廷の侵攻の証としての境界石。つまり、現世と黄泉の国を分け隔てる千曳岩とされたのではなかったか…。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 1368

Latest Images

Trending Articles