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Channel: 不思議空間「遠野」 -「遠野物語」をwebせよ!-
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「冥界との縁結び(其の九)」

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卯子酉神社の鎮座する愛宕は、遠野の町の西に位置する。遠野八景が定められ、この愛宕の景観に、昔人は歌を詠んで楽しんだ。それが、下記の歌となる。


露時雨松原遠く過来つつ夕日のわたる愛宕橋かな

帰るにはしかじと山を夕日さす愛宕の橋をいそぐ旅人



この遠野八景が定められたのは、元禄、宝暦、そして天保年間である。南部四大飢饉があったが、その四大飢饉の年間のうち「元禄・宝暦・天保」の三つの飢饉の年代に、何故か遠野八景が定められている。これは苦しい遠野の生活を紛らわす為、せめて遠野の美しい場所を愛でようという意図からであったのだろうか?その三つの時代に必ず入っていたのが、愛宕であった。歌の中に愛宕の橋が詠われているが、愛宕に橋が架けられたのは寛文六年(八年とも云われる。)1666年だとされる。ただし愛宕に架けられた橋は、その後何度となく流されている。


ところで二つの歌に詠われている情景は、どちらも夕暮れのようである。足取りが「過来つつ」また「いそぐ旅人」と、慌ただしい様を詠っている。夕暮れ時は、黄昏時。誰ぞ彼は?という、相手の姿が見え辛くなっている時間帯でもある。さらに言えば逢魔時であり、昼から夜に移行する境界の時間であり、災いが降りかかる時間帯でもあった。そして愛宕山の前は鍋坂といい、人を騙す狐が出るとも云われていた程、人気の無い場所であった事からも、歌の愛宕の情景が、旅を急ぐ情景というより、魔を避けるかのような情景にも読み取れてしまう。ましてや愛宕橋の道も出来てしまったので、それを加えると、愛宕山の麓は辻になってしまっている。辻は霊界の入り口と云われるが、橋もまた、霊界の通路と伝わる。古来から橋は、あの世とこの世を繋ぐものとして認識されていた。例えば、死体を墓地へと運び、埋葬した後、振り返ってはならないという禁忌がある。振り向くと、あの世へと連れて行かれるのだ、と伝わる。それと同じものが、橋の上にも伝わっている。橋の上で話しかけられても、答えてはならない、振り向いてはならないと。また全国的にも、川の近くでは縁結びと、縁切りが成されていた。川そのものも、水中は異界と考えられていた事からも、人の及ばない力を願ったのだろう。例えば川が二股に分かれている場所は、縁切りに有効であるとか、その地形的なものも含めて、人の想いがいろいろなものを形作って来たのだろう。
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愛宕山の前を、鍋坂という。この鍋という漢字が付く地名は、遠野では他に鍋倉、鍋割などがある。鍋というと自分の中では、化け猫で有名な鍋島などが思いつく。調べてみると、例えば鍋倉などは、殆どが九州の宮崎県に多く、間を飛ばして東北に多い。鍋島もまた九州の佐賀県周辺に固まっているのを考えみても、鍋の付く地名が九州から渡って来たものではないかと妄想してしまうほどだ。


鍋坂を考えると、坂は境、境界を意味しているのだが、鍋は「な」かのものを「へ」だてるなどの意を持っているようだが、最終的には物を煮る器でもある事から、「煮瓶(にへ)」の義であるとされている。この"煮瓶"とは、つまり"贄(にへ)"である。考えてみれば、鍋や釜は、竃に載せて煮炊きする道具でもある。その竈そのものは、蹈鞴の流れを汲み、信仰が重なるところが多い。飯島吉晴「竃神と厠神」には「いわば非業の死をとげたものが、竃神として祀られている場合が多い。」と記されているが、竃の信仰が蹈鞴の流れを汲んでいるのは明白だが、その原型は加具土命に行き着く。伊邪那美は加具土命を産んで亡くなったが、死ぬ寸前の嘔吐によって誕生したのが、蹈鞴場に祀られる死体を好む金屋子神であった。「非業の死」という表現は、伊邪那美であり加具土命に重ねざる負えないところがある。その氏の臭いのする蹈鞴の流れを汲むものに、鍋と釜が重なって来る。そこで思い出したのが、遠野に伝わる伝承のいくつかであった。
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奇妙な事に、遠野には「お鍋ヶ淵」と「釜淵」と呼ばれる淵が、各々二ヶ所ある。



鱒沢村のお鍋が淵というのも、やはり同じ猿ヶ石川の流れにある淵である。昔阿曽沼家の時代にこの村の領主の妾が、主人の戦死を聞いて幼な子を抱えて、入水して死んだ処と言い伝えている。淵の中に大きな白い石があるが、洪水の前などにはその岩の上に、白い衣装の婦人が現われて、髪を梳いているのを見ることがあった。今から二十五年前程の大水の際にも、これを見た者が二、三人もあった。

                     「遠野物語拾遺29」ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「阿曽沼興廃記」には、観音の申し子としてのお鍋の末路が記されているが、どうやらお鍋は神格化したという事か。そのお鍋の入水したのは、鱒沢とされているが「まつざき歴史がたり」によれば、松崎沼(蓴菜沼)であるとしている。これは松川姫が女護沼に入水した話が、別に松崎沼であったというように、様々な情報が交錯した為だろうと思っていた。

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附馬牛村東禅寺の常福院に、昔無尽和尚の時に用いられたという大釜がある。無尽は碩徳の師家であって、不断二百余人の雲水が随従してたので、いつもこの釜で粥などを煮ていたものであるという。初には夫婦釜といって二つの釜があった。

東禅寺が盛岡の城下へ移された時、この釜は持って行かれるのを厭がって、夜々異様の唸り声を立てて、本堂をごろごろと転げまわった。いよいよ担ぎ出そうとすると、幾人がかりでも動かぬ程重くなった。それも雌釜の方だけはとうとう担ぎ挙げられて、同じ村の大萩という処まで行ったが、後に残った雄釜を恋しがって鳴出し、人夫をよろよろと後戻りをさせるので、気味が悪くなってしばらく地上に置くと、そのまま唸りながら前の淵へ入ってしまった。それでその一つだけは今でもこの淵の底に沈んでいるのだそうな。

                       「遠野物語拾遺22話」

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昔、附馬牛の大萩に東禅寺という大きな寺があった頃、そこには二百人もの修行僧がおり、修行に明け暮れていたのだという。なので食事も大したもので、馬釜のような大きな雄蝶、雌蝶と呼ばれた二つの釜で、ご飯を炊いていたのだと。

ところが時代も変わり、江戸時代の初期に、南部の殿様がこの東禅寺を盛岡に移転する事としたのだという。その時にこの雄蝶、雌蝶の二つの釜を一緒に運ぶ事となったのだが、何故かこの淵の側を通りかかった時に、急に片方の雌蝶の釜が崩れ落ち、あっという間に淵に沈んでしまったのだと。そして雄蝶と呼ばれた釜は空中に舞い上がり、火の玉のようになって、元の東禅寺まで飛んでいったそうな。きっと今まで居た東禅寺から離れたくなかったのだろうと、人々は語ったのだという。雄蝶の釜は今でも大萩の常福院に残っており、寺宝となっている。そして、淵に沈んだ雌蝶の釜は、何十人という人足をかけても、ついに引き上げる事が出来ないままであったと。それから、この雌蝶の釜の沈んだ淵を釜淵と呼んで近寄らず、またこの釜淵で魚を獲ると祟りがあると恐れられたそうである。



                      「鱒沢に伝わる釜淵の伝承」
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そして釜淵もまた、東禅寺近くの淵に落ちたか、鱒沢に落ちたとの、二つの伝承がある。先に"奇妙"とは書いたが、鍋と釜という似た物同士が、どちらも淵に落ちた伝承そのものが奇妙に思える。鍋の義が贄に通じると書いたが、釜もまた同じである。鱒沢の釜淵の伝承には「雄蝶・雌蝶」と、人柱を想起させる表現がされている。そもそそも、鍋や釜に贄の義が隠されているならば、小松和彦の指摘するように「お鍋ヶ淵」も「釜淵」も、人柱の事実を歪曲して後世に伝える為に創られた伝承の可能性は高いであろう。その贄の義を持つ鍋という名の地名が、愛宕山前の鍋坂でもあるのか。
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愛宕山前の愛宕橋は、いまやコンクリートの橋に変ってしまった。それでも、橋としての意味が変ったわけではない。「ハシ」の本来の意味は、あちらとこちらを繋げるもの。食事に使用する箸は、口と食べ物を繋げるもの。そして先に述べた様に"橋"は、"あの世とこの世"を繋げるもの。これは川が異界であり、三途の川と結び付いてのものからきている。つまり、川を渡った向うは、あの世というわけである。ちなみに高橋は、天と地を繋げるもの。高いとは天に近付くものである事から、高橋は天にかかる橋を意味し、それが巫女などの神と交流する存在をも意味する。日本に数多くある高橋姓だが、日本で一番古い氏名であり、その発祥は後漢の高祖に辿りつくという説もある程だ。


話は逸れたが、愛宕山の麓には三つの道が出来ている事になる。それが辻であり、古来から霊界の入り口と考えられ、多くの石碑などが置かれている。その同じ地にあるのが卯子酉神社である。古来から、川と縁結び、縁切りは繋がっていた。それは倉掘神社が元々水神を祀り、その信仰に縁結びが付随していたのは、貴船神社からもあきらかだろう。川による古来の縁結びの信仰は、人形(ひとがた)を用意し、良縁を願い、もしくは「誰々に逢えますように。」と願をかけると共に、その人形を川に流したという。「大祓祝詞」の流れから見て、川の流れの最後は根の国・底の国へと流れ着くように、霊界であり黄泉国へと流れ着く。縁結びは、霊界であり黄泉国への願掛けと同じであった。ところが遠野の卯子酉神社には、更に"片葉の葦"と、左手だけで結ぶという、男だけの縁結びの呪術が仕掛けられている。そして立地と地名からも、普通の縁結びでは無い様相を帯びているのが理解できる。さて次の「冥界との縁結び」で結としよう。



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