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Channel: 不思議空間「遠野」 -「遠野物語」をwebせよ!-
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「冥界との縁結び(其の八)」

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上郷村に河だちのうちと云う家あり。早瀬川の岸に在り。 此家の若き娘、ある日河原に出てゝ石を拾ひてありしに、 見馴れぬ男来り、木の葉とか何とかを娘にくれたり。又高く面朱のやうなる人なり。娘は此日より占いの術を得たり。異人は山の神にて、山の神の子になりたるなりと云へり。

                      「遠野物語107話」ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

この「遠野物語107」に登場する娘は、上郷町では、地域を救った朝日巫女として称えられている。上郷町岩崎の岩船に、花崗岩で出来た朝日巫女の古碑が、上に掲載した画像である。現在は、刻まれた文字もすっかり摩耗し、知らぬ人にとっては単なる自然石の塊にしか見えない。ところで、「上郷聞書」に記されている朝日巫女の霊力の凄さを示す内容の一部は、下記の通りとなる。
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宝冶元年(1247)6月「白鬚の大水」と後年言われた大洪水が数日続き、早瀬川は氾濫して平の原部落、平倉部落の家も耕地も今にも呑み込まれそうな危険な状態となっていた。その時、朝日巫女は岩舟の岩上に立ち、呪文を唱えて扇子を以って岩舟の岩石の方に濁流を導き寄せ、現在の川筋に変えたと云われる。

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稲荷様の縁日に大雨と強い風の日に行方不明となったが、7年後にやはり大雨で強い風の日に朝日巫女は帰って来たとある。気になるのは、朝日巫女が大雨と結び付く事を強調して紹介している事だ。「冥界との縁結び(其の一)」に、小松和彦「異人論」の話を書いた。全国に広がる伝説には、事実を隠し美談に変換されているものが多いと紹介した。そこに隠されるものは、聖人殺し。人柱は、最終的には神に捧げる贄としてのものである。それは、一つの呪術でもあるのだ。永仁元年(1293年)天武天皇陵が暴かれ、天武天皇の髑髏が盗まれた。犯人は、行広という坊さんで、呪術に使う為だった。呪術に使われる人とは、第一に聖としての徳の高貴さであり、次に血の高貴さが尊ばれるそうだ。そういう意味では、天武天皇の髑髏は、血の高貴さから盗まれたものだろう。ところが、遠野の様な片田舎には、そういう血の高貴さを持っている者は、まずいない。となれば、注目されるのは、聖としての徳の高貴さだろう。そして人柱は、女性であれば尚更良しとされるように、巫女という存在は、人柱にうってつけの存在であると思う。

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朝日巫女は、岩船の岩の上に立ち、大雨で氾濫した川の流れを変えたとされるが、その岩船とは小高い山の事である。現在、の岩船に朝日巫女の墓とされるものがある。ただ、深野稔生「天翔ける船紀行」を読むと、全国の船を意味する山の大抵は、死者の霊を鎮める山であろうという見解を示している。その中には、貴船神社のある貴船山も含まれる。貴船大神は、貴船山の岩の上に降り立ったとされる。それはまさに、朝日巫女が岩船の岩の上に立ったものと重なって見えてしまう。恐らくだが、朝日巫女伝説の下敷きには、貴船神があるのではないか。そして、何故に貴船神を下敷きにして朝日巫女が出来たのかと考えても、その根底はやはり人柱であったのではないか。朝日巫女は、早瀬川の氾濫の犠牲になり、人柱となって、後に神として祀られたのが答えではないのか。現在、その岩船に石碑なり墓があるという事は、人柱の犠牲となった朝日巫女の霊を鎮める為ではなかったか。
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陸前高田の横田村に、舞出神社がある。この神社の祭神は、瀬織津比咩と菖蒲姫の二柱の神が祀られている。その由緒は、下記の通りとなる。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー今から四、五百年前の頃の事であった。陸前高田横田村では、開拓工事の為に堤防を造ったのだが、大水のたびごとに決壊し、せっかくの新田がまたたくまに泥田になっていたという。そんな中村人は、和光院様という神職に伺いを立ててみたところお告げがあった。

「水神の怒りがあるから堤防が切れるのだ。神の怒りを

        解く為には、村の少女を生贄に捧げなければならない。」

その頃の横田村に、遠野の上郷は細越から流浪してきた大層貧しい母と娘が住んでいた。娘の名を”菖蒲姫”という評判の親孝行者だったので村人達は、代わる代わる母と娘の面倒をしていたそうな。その菖蒲姫は生贄の話を聞き、自ら進んで、その人柱になる事を申し出た。残る母親の生活を村人に託して、翌日の早朝に村人総出の中、牛に乗って川まで行った。やがて菖蒲姫は白木の棺に入れられ、静かに水底へと沈められていった。それからは堤防も決壊する事無く、これもひとえに菖蒲姫の生贄の賜物であろうと、佐沼山に小さな祠を建てて、その霊を慰める事にしたのが、現在の舞出神社であった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーこれと似た様な話は「遠野物語拾遺26」であり、「遠野物語拾遺25」もまた、これらの亜流だろう。共通するのは、人柱を捧げたその川の主であり、川の神であろう。以前にも書いたうに、川の主、川の神とは、その源流神を云う。ただ横田村の舞出神社に伝わる様に、岩手県に於いて水神の大元とされ認識されているのは、早池峯大神である瀬織津比咩であるという事。つまり遠野全体で考えても、川の主の大元とは、早池峯大神である瀬織津比咩の事をいう。

そして人柱だが、巫女という聖人を捧げる場合もあり、また「遠野物語拾遺25&26」の様に、身分の低い者の場合もまたあるが、共通するのは女であるという事。「生贄と人柱の民俗学」を読んでいくと、器量の良い娘は買い手がすぐ付くが、器量の悪い娘は、なかなか買い手が付かない。しかし、人柱などの犠牲になる場合に、買われる場合があったようだ。呪術を完成させる場合、聖人としての徳の高貴さ、もしくは血の高貴さを求められるが、確かに「遠野物語拾遺25&26」のように、代理の女が犠牲となっても、川の氾濫は治まっている。ただし、その犠牲となった者の祟りが永続するというリスクが伴っている。「遠野物語拾遺25&26」の場合、犠牲になった女を神として祀らないから祟られたと考えて良いだろう。人柱の基本は、「遠野物語拾遺28」の雄蝶・雌蝶であり、橋姫神社と同じ様に男女二柱を祀る事であろう。一柱で祀った場合、その祟りが起こる可能性がある為に、ある呪術を施す。それが恐らく、卯子酉神社に施されているのかと考えてしまう。

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